6

壁画

注釈 16
844
原文字数
2215
訳文字数
16
注釈数
~6
読了時間

📖日本語訳

江西の孟龍潭と、朱という孝廉(挙人)が、都に客居していた。ある時、たまたま一つの寺(蘭若)に入った。本堂も僧房も、どれもあまり広くはなく、ただ一人の老僧が袈裟を掛けて(掛褡)そこに住んでいるだけだった。
僧は客の入ってくるのを見て、衣を整え出迎え、案内して寺内を見て回らせた。本堂には志公和尚(宝誌禅師)の像が塑かれ、両側の壁には見事な絵が描かれていて、人物が生きているようだった。
東側の壁画には、散花天女(花を散らす天女)が描かれており、中でも一人、髪を垂らした少女が、花を摘んで微笑み、桜の花びらのような唇は今にも動き出し、目の縁(まなざし)は流れ出さんばかりであった。朱がじっと見つめているうちに、知らず知らずのうちに心を揺すぶられ、魂を奪われ、ぼう然として凝想にふけった。すると、体がふわふわと飄(ひょう)ひょうとし、雲霧に乗っているかのようになり、いつの間にか壁画の上に到達していた。
そこには楼閣が幾重にも立ち並び、もはや人の世ではなかった。一人の老僧が座上で説法をしており、袈裟を片肩にかけた(偏袒)聴衆が大勢取り囲んで見ていた。朱もまたその中に混じって立っていた。
しばらくすると、誰かがこっそりと彼の裾を引っ張るような気がした。振り返ると、先ほどの髪を垂らした少女で、にっこり笑って立ち去ろうとしている。朱はすぐにその後を追った。曲がりくねった欄干を過ぎ、一つの小さな部屋に入った。朱はしりごみして前に進めなかった。女が振り返り、手にした花を揺らして、遠くから招くような仕草をしたので、やっと走り寄った。
部屋の中は静かで誰もいない。急いで彼女を抱きしめると、あまり拒むこともなく、そこで睦み合った。その後、女は戸を閉めて出て行き、「咳をしないで」と頼んだ。夜になると、また彼女はやって来た。こうして二日が過ぎた。
女の仲間がそれに気づき、一緒に朱を探し出し、女に戯れて言った。「お腹の中の小坊主ももうこんなに大きいのに、まだ髪をぼさぼさにして処子のふりをしてるの?」 みんなで簪(かんざし)や耳飾りを捧げ、急いで髪を結い上げるよう促した。女は恥ずかしそうにうつむいて何も言わない。一人の女が言った。「お姉さんたち、私たち、長居はしないように。あの人が楽しめなくなるといけないから」。みんな笑いながら去って行った。
朱が女を見ると、雲のように高く結い上げた髷(もとどり)に、鳳凰が低く垂れているような髪型で、髪を垂らしていた頃より一層艶やかで美しかった。周りを見回しても人はいない。次第に淫らな行為にふけり、蘭や麝香(じゃこう)の香りに心を奪われ、楽しみはまだ尽きないところだった。
突然、革靴(吉莫靴)のけたたましい音と、鎖(縲鎖)の錚(そう)然と鳴る音が聞こえた。間もなく、ごたごたとした騒めきと争う声が沸き起こった。女は驚いて起き上がり、朱とこっそりのぞくと、一人の金甲の使者がいて、その顔は漆のように真っ黒で、鎖を手に槌を持ち、多くの女たちが彼を取り囲んでいた。
使者が言う。「全員か?」
答えて言う。「全員です」
使者が言う。「もし下界の人間を隠している者がいれば、すぐに申し出よ。後で苦しい目に遭わせるな」
また声を揃えて言う。「いません」
使者は体を反らし、鷲(わし)のように鋭く見回し(鶚顧)、隠れている者を探そうとしているようだった。
女は大いに恐れ、顔色が死人のように青ざめ、慌てふためいて朱に言った。「急いで寝台の下に隠れなさい」。そして壁の小さな扉を開けると、急いで逃げ去った。
朱は伏せて、少しも息をつぐ勇気がなかった。やがて靴の音が部屋の中まで来て、また出て行くのが聞こえた。しばらくすると、騒がしい音は次第に遠ざかり、心は少し安らいだ。しかし、戸の外ではたびたび行き来する者の話し声がする。朱は小さく縮こまって(局蹐)長くいたので、耳の辺りで蝉が鳴き、目の前には火花が出るようで、その状態にはほとんど耐えられなかった。ただ静かに聞き耳を立て、女が帰ってくるのを待つばかりで、すっかり自分がどこから来たのかさえ思い出せなくなっていた。

その時、孟龍潭は本堂にいて、一瞬で朱の姿が見えなくなったので、不思議に思い僧に尋ねた。僧は笑って言った。「説法を聞きに行かれました」。
「どこでですか?」
「遠くではございません」
しばらくして、僧は指で壁を弾きながら呼びかけた。「朱檀越(旦那)、どうしてそんなに長く遊んでお帰りにならないのですか?」 するとすぐに、壁の絵の中に朱の姿が現れ、耳を澄まして立ったまま、何かを聞き分けているかのようだった。
僧はまた呼びかけた。「お連れ様が長くお待ちですよ!」
そこで朱は飄(ひょう)ひょうとして壁から下りて来たが、意気消沈して棒立ちになり、目を見開き足はふらふらしていた。
孟は大いに驚き、落ち着いて彼に事情を尋ねた。どうやらちょうど寝台の下に伏せていた時、雷のような叩く音を聞いたので、部屋を出てのぞき見て聞いていたというわけだった。二人で一緒に、花を摘んでいた天女を見ると、螺髻(らけい)を高く結い上げ、もはや髪を垂らしてはいなかった。
朱は驚いて老僧に拝礼し、そのわけを尋ねた。僧は笑って言った。
「幻は人の心(人生)から生ずる。貧道にどうして解けようか(解き明かせようか)」
朱は息が詰まって晴れ晴れせず、孟は心が驚き嘆いて落ち着かなかった。すぐに立ち上がり、階段を降りて寺を出て行った。

📝注釈

蘭若(らんにゃ)

梵語「アーランヤ」の音写。寺院、特に静かな山林の寺。

掛褡(かたつ)

「袈裟を掛ける」ことから転じて、僧が一時的に寺に寄留する意味。

志公(しこう)

宝誌禅師(418-514)。南朝梁の伝説的な高僧で、神異的な力で知られる。

偏袒(へんたん)

僧が袈裟を左肩のみにかけ、右肩を脱ぐこと。説法や作務時の姿。

檀越(だんおつ)

梵語「ダーナパティ」の音写。寺院や僧に布施する信者(施主)への敬称。

垂髫(すいちょう)

子供や未婚の少女が結わずに垂らした髪。少女の無垢で自由なイメージを象徴。

櫻唇欲動,眼波将流(おうしん よく どう,がんは しょう りゅう)

「桜の唇は今にも動き出し、目の波(まなざし)は流れ出そうとしている」。絵が生きているかのような、極めて官能的な描写。

神摇意夺(しん よう い だつ)

「精神が揺らぎ、意識が奪われる」。朱が絵の魔力に完全に取り憑かれた状態。

冁然(てんぜん)

にっこりと笑うさま。少女の無邪気で魅惑的な笑み。

螺髻翘然(らけい ぎょうぜん)

「螺(ら)のように巻いた髷が高くそびえている」。成人女性、特に天女の髪型。髪を結うことで「少女」から「女」へ、さらには「幻」の存在として固定化されたことを示す。

幻由人生(げん じん しょう ず)

この物語の主題を一言で表す老僧の言葉。「すべての幻は人の心(欲望や妄想)から生まれる」という仏教的哲理。朱の欲望が壁画の世界への入り口を開き、その体験をもたらした。

画壁(がへき)

題名。単なる「壁画」ではなく、現実と幻想、この世と異界を隔てる「境界」そのものとしての壁。

金甲使者(きんこうししゃ)

冥界や天界の秩序を守り、逃亡者を捕らえる役割の武神。ここでは朱という「下界人」が天界に迷い込んだことを察知し、秩序を回復しようとする「現実の原則」の象徴。

吉莫靴(きちばくか)

堅牢な革靴。武人や使者が履く

局蹐(きょくせき)

「窮屈に縮こまる」。恐怖と緊張のあまり身を小さくする様子。

灰心木立(かいしんぼくりつ)

「意気消沈し、棒立ちになる」。幻の世界から現実に引き戻され、魂が抜けたような朱の姿。

📜原文

江西孟龙潭,与朱孝廉客都中。偶涉一兰若,殿宇禅舍,俱不甚弘敞,惟一老僧挂褡其中。见客入,肃衣出迓,导与随喜。殿中塑志公像,两壁画绘精妙,人物如生。东壁画散花天女,内一垂髫者,拈花微笑,樱唇欲动,眼波将流。朱注目久,不觉神摇意夺,恍然凝思;身忽飘飘,如驾云雾,已到壁上。见殿阁重重,非复人世。一老僧说法座上,偏袒绕视者甚众。朱亦杂立其中。少间,似有人暗牵其裾。回顾,则垂髫儿,冁然竟去。履即从之,过曲栏,入一小舍,朱次且不敢前。女回首,摇手中花,遥遥作招状,乃趋之。舍内寂无人,遽拥之,亦不甚拒,遂与狎好。既而闭户去,嘱勿咳。夜乃复至。如此二日。女伴觉之,共搜得生,戏谓女曰:“腹内小郎已许大,尚发蓬蓬学处子耶?”共捧簪珥,促令上鬟。女含羞不语。一女曰:“妹妹姊姊,吾等勿久住,恐人不欢。”群笑而去。生视女,髻云高簇,鬟凤低垂,比垂髫时尤艳绝也。四顾无人,渐入猥亵,兰麝熏心,乐方未艾。忽闻吉莫靴铿铿甚厉,缧锁锵然;旋有纷嚣腾辨之声。女惊起,与生窃窥,则见一金甲使者,黑面如漆,绾锁拿槌,众女环绕之。使者曰:“全未?”答言:“已全。”使者曰:“如有藏匿下界人,即共出首,勿贻伊戚。”又同声言:“无。”使者反身鹗顾,似将搜匿。女大惧,面如死灰,张皇谓朱曰:“可急匿榻下。”乃启壁上小扉,猝遁去。朱伏,不敢少息。俄闻靴声至房内,复出。未几,烦喧渐远,心稍安;然户外辄有往来语论者。朱局蹐既久,觉耳际蝉鸣,目中火出,景状殆不可忍,惟静听以待女归,竟不复忆身之何自来也。时孟龙潭在殿中,转瞬不见朱,疑以问僧。僧笑曰:“往听说法去矣。”问:“何处?”曰:“不远。”少时,以指弹壁而呼曰:“朱檀越何久游不归?”旋见壁间画有朱像,倾耳伫立,若有听察。僧又呼曰:“游侣久待矣!”遂飘忽自壁而下,灰心木立,目瞪足耎。孟大骇,从容问之。盖方伏榻下,闻扣声如雷,故出房窥听也。共视拈花人,螺髻翘然,不复垂髫矣。朱惊拜老僧,而问其故。僧笑曰:“幻由人生,贫道何能解!”朱气结而不扬,孟心骇叹而无主。即起,历阶而出。