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ひとみの中の人の話

注釈 11
926
原文字数
2261
訳文字数
11
注釈数
~6
読了時間

📖日本語訳

長安の書生、方棟は、かなりの才名があったが、軽薄で儀礼や節度をわきまえない男であった。道端で遊び歩く女性を見かけると、いつも軽々しく後をつけ回した。
清明節の前日、偶然、郊外を歩いていると、一台の小さな車を見かけた。朱色の覆いと刺繍の垂れ幕があり、青い衣の下僕数人が、ゆっくりと従っていた。中でも一人の婢は、小さな駿馬に乗り、その容姿はこの上なく美しかった。方棟がそっと近づいて覗くと、車の帷幔が大きく開いており、中には十六歳ほどの女郎が座っていて、紅い衣装が艶やかで、これまで見たこともないほどの美しさだった。
目がくらみ魂を奪われた方棟は、未練がましく見つめ、離れようとせず、車の前になったり後ろになったりしながら、数里も駆けついていった。突然、女郎が婢を呼び、車の傍らに寄せるのが聞こえた。
「私のために垂れ幕を下ろしなさい。どこからの狂暴な男かしら、しきりに覗き見ようとするのは!」
婢は垂れ幕を下ろすと、怒って方棟を振り返り言った。
「こちらは芙蓉城(ふようじょう)の七郎子の新婦で、里帰りなさるお方です。田舎の娘さんとはわけが違います。秀才がいい気になって覗き見など、とんでもない!」
言い終わると、轍の土を掬って方棟に撒きかけた。土が目に入って開けられなくなった。一目こすって見ようとした時には、車馬はもう遥か彼方に消えていた。驚き疑いながら帰った方棟は、目がずっと不快なままであることに気づいた。
人に頼んで瞼を開けさせ目の中を見てもらうと、瞳の上に小さな翳(くもり)ができていた。一晩経つとさらにひどくなり、涙がぼろぼろと止まらない。翳は次第に大きくなり、数日もすると銅貨のように厚くなった。右目には渦巻き状のものが現れ、あらゆる薬も効き目がなかった。懊悩し絶望した彼は、ひどく自ら懺悔したいと思い始めた。
『光明経』が厄災を解消できると聞き、経典一巻を手に、人に頼んで教えを請い誦経を始めた。初めはまだ煩躁していたが、やがて次第に心は安らかになっていった。朝晩、何もすることなく、ただ趺坐して数珠を捻るだけ。それを一年続けた頃、あらゆる煩悩の縁は消え去った。
すると突然、左目の中から蝿のような細かい話し声が聞こえてきた。
「真っ暗でたまらないなあ!」
右目の中が応じた。
「一緒にちょっと遊びに出て、この鬱憤を晴らそうじゃないか」
次第に両方の鼻の穴の中が、蠕蠕(ぜんぜん)とかゆくなり、何かが出て行くような気がした。穴を離れてどこかへ去り、しばらくして戻って来て、再び鼻から眼窩の中へ入っていく。
また声が聞こえた。
「長いこと園亭を覗いてないから、真珠蘭(しんじゅらん)が枯れ死にしちゃったよ!」
方棟はもともと香りのよい蘭を愛し、庭にたくさん植えて、日常自ら水をやっていたが、目が見えなくなってからは、長い間まったく構わなかった。この言葉を聞くと、急いで妻に尋ねた。
「蘭の花はどうして枯れてしまったのだ?」
妻はどうして彼が知っているのかと問いただした。そこで、訳を話した。妻が急いで確かめに行くと、花も葉も枯れ果てており、大いに不思議に思った。
妻は静かに部屋に隠れて待っていると、豆粒よりも小さい小人が、方棟の鼻の中から出てきて、ぶんぶん言いながら、ついには門の外へ出て行くのを見た。だんだん遠くへ行き、とうとう見失ってしまった。しばらくすると、腕を組み合って帰ってきて、蜂や蟻が巣穴に飛び込むように、顔の上へ飛び乗った。こうしたことが二、三日続いた。
また左の声が聞こえた。
「隧道(鼻の穴)は曲がりくねっていて、行き来するのにすごく不便だ。自分で門を開けた方がいいんじゃないか」
右が応じた。
「俺の壁(目蓋)は厚くて、なかなか容易じゃないよ」
左が言った。
「俺が開けてみるよ。うまくいったらお前も一緒に」
すると、左の眼窩の中が、ひっかき裂かれるような感じがした。しばらくして、目を開けてみると、机の上の物がはっきりと見えた。喜んで妻に告げると、妻がよく見ると、脂(あぶら)の膜に小さな穴が開き、黒目がきらきらと光って、ちょうど割った胡椒の実ほどの大きさだった。
一晩経つと、翳は完全に消えていた。よく見ると、なんと瞳が二重になっていた(重瞳)。ただし、右目の渦巻きはもとのままだった。これで、二つの瞳の人が一つの眼窩の中に同居しているのだとわかった。
方棟は片目が見えないままだったが、両目が見える人よりも、かえって物事がはっきり見えるようになった。これ以来、ますます自らを戒め慎むようになり、郷里では立派な徳の持ち子として称えられるようになった。

異史氏が言う。
「ある郷里に士人がおり、二人の友人と道を歩いていると、はるか前方で若い婦人が驢馬を乗り回しているのが見えた。戯れて吟じた。『美人ありや!』二人の友人を振り返り、『追いかけよう!』互いに笑いながら駆け出し、やがて追いつくと、それは彼の息子の嫁であった。心中恥ずかしく、がっかりして黙り込んだ。友人は知らないふりをして、大変猥褻な批評をした。士人は恥ずかしそうに、吃りながら言った。『これは長男の嫁だ』それぞれに忍び笑いをしてその場はお開きとなった。軽薄な者はしばしば自ら辱めを受ける。まことに笑うべきことである。目に塵が入って失明するに至っては、また鬼神の厳しい報いである。芙蓉城の主がどのような神かは知らない。菩薩の化身ではないだろうか?しかし、小さな瞳の郎君が自ら門戸を開いたように、鬼神はたとえ悪しき者であっても、人が自ら改心することを許さないわけではないのである!」

📝注釈

清明節(せいめいせつ)

二十四節気の一つで、祖先の墓を参る中国の伝統的な祭日。物語の時間設定として重要。

芙蓉城(ふようじょう)

伝説上の仙境、または美しい女性が住む都城。ここでは車中の女郎の高貴で非俗的な身分を暗示。

光明経(こうみょうきょう)

仏教経典の一つ。『金光明経』などが考えられるが、ここでは厄除け・眼病平癒の功徳がある経典として登場。

趺坐捻珠(ふざ ねんじゅ)

「結跏趺坐で数珠を揉む」。仏教における修行と懺悔の行為を表す。

佻脱不持仪节(ちょうだつ ぎせつ を じ せず)

「軽薄で、礼儀作法をわきまえない」。主人公の性格を定義づける重要な描写。

朱茀绣幰(しゅふつ しゅうけん)

「朱色の車覆いと刺繍の車帷」。高貴な身分の者の車を表す華麗な装飾。

款段以从(かんだん もって したがう)

「ゆったりとした足取りで従う」。従者たちの様子。

蠕蠕(ぜんぜん)

「虫などがうごめく様子」。鼻の中を通る小人の動きを表す擬態語。

瞳人(どうじん)

字義通り「瞳の中の人」。この物語のキーワード。日本語では「瞳の人」と訳し、その不可思議な存在感を出す。

翳(くもり)

目の中の病気による曇り。物語では、罪の報いとしての身体的障害と、修行によって浄化される対象の両面を持つ。

重瞳(ちょうどう)

「ひとみが二重になっている」状態。古代中国の聖人・偉人伝説に登場する奇相で、ここでは改心の結果としての「聖性」の獲得を暗示する。

📜原文

长安士方栋,颇有才名,而佻脱不持仪节。每陌上见游女,辄轻薄尾缀之。清明前一日,偶步郊郭。见一小车,朱茀绣幰,青衣数辈,款段以从。内一婢,乘小驷,容光绝美。稍稍近觇之,见车幔洞开,内坐二八女郎,红妆艳丽,尤生平所未睹。目炫神夺,瞻恋弗舍,或先或后,驰数里。忽闻女郎呼婢近车侧,曰:“为我垂帘下。何处风狂儿郎,频来窥瞻!”婢乃下帘,怒顾生曰:“此芙蓉城七郎子新妇归宁,非同田舍娘子,放教秀才胡觑!”言已,掬辙土扬生。生眯目不可开。才一拭视,而车马已渺。惊疑而返。觉目终不快。倩人启睑拨视,则睛上生小翳;经宿益剧,泪簌簌不得止;翳渐大,数日厚如钱;右睛起旋螺,百药无效。懊闷欲绝,颇思自忏悔。闻光明经能解厄,持一卷,浼人教诵。初犹烦躁,久渐自安。旦晚无事,惟趺坐捻珠。持之一年,万缘俱净。忽闻左目中小语如蝇,曰:“黑漆似,叵耐杀人!”右目中应曰:“可同小遨游,出此闷气。”渐觉两鼻中,蠕蠕作痒,似有物出,离孔而去。久之乃返,复自鼻入眶中。又言曰:“许时不窥园亭,珍珠兰遽枯瘠死!”生素喜香兰,园中多种植,日常自灌溉,自失明,久置不问。忽闻此言,遽问妻:“兰花何使憔悴死?”妻诘其所自知。因告之故。妻趋验之,花果槁矣,大异之。静匿房中以俟之,见有小人自生鼻内出,大不及豆,营营然竟出门去。渐远,遂迷所在。俄,连臂归,飞上面,如蜂蚁之投穴者。如此二三日。又闻左言曰:“隧道迂,还往甚非所便,不如自启门。”右应曰:“我壁子厚,大不易。”左曰:“我试辟,得与而俱。”遂觉左眶内隐似抓裂。少顷,开视,豁见几物。喜告妻,妻审之,则脂膜破小窍,黑睛荧荧,才如劈椒。越一宿,幛尽消;细视,竟重瞳也。但右目旋螺如故。乃知两瞳人合居一眶矣。生虽一目眇,而较之双目者,殊更了了。由是益自检束,乡中称盛德焉。
异史氏曰:“乡有士人,偕二友于途,遥见少妇控驴出其前,戏而吟曰:‘有美人兮!’顾二友曰:‘驱之!’相与笑骋,俄追及,乃其子妇,心赧气丧,默不复语。友伪为不知也者,评骘殊亵。士人忸怩,吃吃而言曰:‘此长男妇也。’各隐笑而罢。轻薄者往往自侮,良可笑也。至于眯目失明,又鬼神之惨报矣。芙蓉城主,不知何神,岂菩萨现身耶?然小郎君生辟门户,鬼神虽恶,亦何尝不许人自新哉!”