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耳中人

注釈 10
235
原文字数
585
訳文字数
10
注釈数
~2
読了時間

📖日本語訳

譚晋玄は、邑の諸生(秀才)なり。導引の術を篤く信じ、寒暑とわず修練を怠らなかった。数ヶ月行ううちに、何かを得たかのような気がした。
ある日、ちょうど趺坐(ふざ:結跏趺坐)していると、耳の中から蝿のごとき細かい話し声が聞こえてきた。「出て見せようか」と言うのである。目を開けると、たちまち聞こえなくなった。再び目を閉じ、呼吸を整えると、また同じように聞こえる。内丹が完成に近づいているのだと思い、ひそかに喜んだ。
それ以来、坐るたびにその声を聞くようになった。そこで、もう一度話しかけてきたら、それに応じて様子をうかがってやろうと思った。ある日、また声がした。そこで、かすかに応じて言った。「よろしい、出てきなさい」。
たちまち、耳の中がそよそよとする感じがし、何かが出てくるようだった。そっと目を細めて見ると、三寸ほどの小人で、容貌は夜叉のように醜く恐ろしく、地上をくるくる回っている。心中ひそかに怪しみながら、しばらくは凝神してその変化を見守った。
突然、隣人が物を借りに来て、戸を叩きながら呼びかける声がした。小人はそれを聞くと、慌てふためき、部屋の中を鼠が巣穴を失ったように走り回った。譚は魂が抜けたようになり、再び小人がどこへ行ったのかもわからなくなってしまった。
こうして、彼は癲疾(狂気)にかかり、やめどなく叫び続け、半年間医药を尽くして、ようやく次第に癒えていった。

📝注釈

趺坐(ふざ)

仏教における「結跏趺坐」、すなわちあぐらをかいて坐禅を組む姿勢を指します。訳文では漢字にルビを振ることで、原文の文化要素を保持しつつ、日本語読者にも読み方を示しています。

導引の術(どういんのじゅつ)

中国古代の道家に由来する、呼吸と柔軟な身体運動を組み合わせた健康法・養生術の固定訳です。

凝神(ぎょうしん)

「精神を一点に集中させる」ことを意味する漢語で、修行や瞑想の文脈で使われます。日本語でも同じ漢字語として受け入れられています。

~なり

文語(古典日本語)の断定助動詞です。現代語の「~である」に相当し、物語の冒頭で人物を紹介する定型句として用いられ、古典的な語り口の雰囲気を作り出しています。

習習然(しゅうしゅうぜん)

中国語の擬音語「習習」を日本語化した表現で、風がそよぐ音や様子、または何かが軽やかに動く感じを表します。原文の「俄觉耳中习习然」の描写を生き生きと訳しています。

たちまち

現代語でも使いますが、「すぐに」「瞬時に」という時間の短さを強調する副詞で、ここでは小人が現れるまでの時間の短さを表現しています。

夜叉(やしゃ)

インド神話に起源を持つ鬼神で、仏教を経て中日双方の文化に定着した存在です。容貌が醜悪で恐ろしいものの代表として用いられており、訳注なしでもほぼ共通のイメージが伝わります。

諸生(しょせい)

中国明代・清代の科挙制度における「秀才」資格を持つ書生を指します。訳文では「秀才」と補足説明を加えていますが、そのまま「諸生」としても、古典文脈における「書生」と理解できます。

癲疾(てんしつ)

古典日本語で「精神錯乱に近い狂気や精神病」を指す、やや格式ばった医学的・文学的表现です。現代では一般的ではなく、ここでは原文「顛疾」の古風で深刻なニュアンスを伝えています。

そよそよ

現代日本語の擬態語で、風が穏やかに吹く様子や、軽いものが揺れる感じを表します。訳文では「耳の中がそよそよとする」と、異物が耳から出てくる微細な感覚を巧みに描写しています。

📜原文

谭晋玄,邑诸生也。笃信导引之术,寒暑不辍。行之数月,若有所得。一日,方趺坐,闻耳中小语如蝇,曰:“可以见矣。”开目即不复闻;合眸定息,又闻如故。谓是丹将成,窃喜。自是每坐辄闻。因俟其再言,当应以觇之。一日,又言。乃微应曰:“可以见矣。”俄觉耳中习习然,似有物出。微睨之,小人长三寸许,貌狞恶如夜叉状,旋转地上。心窃异之,姑凝神以观其变。忽有邻人假物,扣门而呼。小人闻之,意张皇,绕屋而转,如鼠失窟。谭觉神魂俱失,复不知小人何所之矣。遂得颠疾,号叫不休,医药半年,始渐愈。