やまのおに
📖日本語訳
曾祖父は麦秋(収穫期)に里に帰り、十日ほど経って寺に戻った。書斎の戸を開けると、机の上には塵が積もり、窓の間には蜘蛛の巣が張り詰めており、僕に掃除を命じた。夜になってようやく、清々しく座れると感じるまでになった。
そこで寝台のほこりを払い寝具を敷き、戸を閉めて枕についた。月の光がすでに窓いっぱいに満ちていた。寝返りを打っているうちに、あらゆる物音が静まり返った。
突然、風のような「ゴー」という音が聞こえ、山門(寺の正門)ががたがたと響いた。 (曾祖父は)寺の僧が戸締まりを怠ったのだろうと思った。そのことに気を取られているうちに、風の音は次第に住まいの建物に近づき、やがて部屋の戸が開いた。大いに不審に思い、考えがまとまらないうちに、音はすでに部屋の中に入ってきた。さらに、靴の音がカンカンと鳴り響き、次第に寝所の戸の傍まで来る。心に恐怖が湧き始めた。
やがて寝所の戸が開いた。はっとそれを見ると、大きな鬼が身をかがめて(戸に)塞がりながら入ってきて、突然寝台の前に立ちはだかった。その背は梁と並ぶほどだ。 顔は老いた鴉の皮の色のようで、目つきはきらきらと光り、部屋中を見回した。大きな口を盆のように開け、歯はまばらで三寸ほども長く、舌を動かし喉を鳴らすと、「ガラッ」という声が四方の壁に響き渡った。
曾祖父は恐ろしさの極みに達した。また、ほんの咫尺(非常に近い)の距離では、どうあがいても逃げられそうにないと思い、いっそ思い切って突き刺そうと考えた。そこで、こっそりと枕の下の佩刀を引き抜き、さっと抜き放ってそれを斬りつけた。腹に当たり、「石の甕」のような音がした。
鬼は大いに怒り、大きな爪を伸ばして曾祖父を掴もうとした。曾祖父は少し身を縮めた。鬼は布団を掴み取り、それを引き裂くと、憤然として去って行った。
曾祖父は布団とともに床に落ち、地に伏して号泣した。家人が松明を持って駆け集まると、戸は何事もなかったように閉まったままであった。窓を壊して中に入り、曾祖父の様子を見て大いに驚いた。支え起こして寝台に寝かせてから、ようやく彼はそのわけを話した。
皆で確かめると、布団は寝所の戸の隙間に挟まっていた。戸を開けて明かりで照らして見ると、箕(ちりとり)のような爪の跡があり、五本の指の当たったところは全て貫通していた。
夜が明けると、(曾祖父は)もうこれ以上留まろうとはせず、笈(書箱)を背負って帰郷した。後で僧に尋ねても、それ以外に変わったことは何もなかったという。
📝注釈
山魈(さんしょう / やまのおに)
中国民間伝承で深山に住むとされる一本足の妖怪。力が強く、人を驚かせる。ここでは「大きな鬼」として描写される怪物を指す。日本語では「山の鬼」と解釈できる。
麦秋(ばくしゅう)
陰暦4月頃の麦の収穫期を指す雅語。初夏。
肄業(いぎょう)
ここでは「(寺などを借りて)学業に励む」意味。現代日本語の「卒業」とは異なる。
扃扉(きょうひ)
「戸の鍵をかけ、扉を閉める」こと。
負笈(ふきゅう)
「笈(書物を入れる背負い箱)を背負う」。書生が旅立つ様子。
万籁俱寂(ばんらい ぐ せき)
「あらゆる物音が全て静まり返る」。深夜の静寂を表す定型句。
隆隆(りゅうりゅう)
「ゴーッ」「ドロドロ」と低く響く音。風や雷の音に用いる。
铿铿然(こうこうぜん)
「カンカン」「コツコツ」と堅い物が触れ合う鋭い音。靴音や金属音。
睒闪(せんせん)
「きらきら、ぴかぴか光るさま」。鬼の鋭く不気味な眼光。
呵喇(からっ)
「ガラッ」「ドガッ」という破裂音や轟音。鬼の咆哮。
殆与梁齐(たい とはり といたず)
「ほとんど梁と同じ高さである」。鬼の巨大さを具体的に示す。
面似老鸦皮色(めん ろうあ ひしょく に にす)
「顔は老いた鴉の皮の色のよう」。不気味で陰鬱な色合い。
作石缶声(せきふ の こえ を なす)
「石の甕(かめ)のような音がする」。鬼の体が石のように堅いことを示し、人間ではない本質を暗示。
爪痕如箕(そうこん き のごとし)
「爪の跡が箕(ちりとり)のよう」。その大きさと力を印象づける。
📜原文
孙太白尝言,其曾祖肄业于南山柳沟寺。麦秋旋里,经旬始返。启斋门,则案上尘生,窗间丝满,命仆粪除,至晚始觉清爽可坐。乃拂榻陈卧具,扃扉就枕,月色已满窗矣。辗转移时,万籁俱寂。忽闻风声隆隆,山门忽然作响,窃谓寺僧失扃。注念间,风声渐近居庐,俄而房门辟矣。大疑之,思未定,声已入屋。又有靴声铿铿然,渐傍寝门。心始怖。俄而寝门辟矣。忽视之,一大鬼鞠躬塞入,突立榻前,殆与梁齐。面似老鸦皮色,目光睒闪,绕室四顾,张巨口如盆,齿疏疏长三寸许,舌动喉鸣,呵喇之声,响连四壁,公惧极。又念咫尺之地,势无所逃,不如因而刺之。乃阴抽枕下佩刀,遽拔而斫之,中腹,作石缶声。鬼大怒,伸巨爪攫公。公少缩。鬼攫得衾,捽之,忿忿而去。公随衾堕,伏地号呼。家人持火奔集,则门闭如故,排窗入,见公状,大骇。扶曳登床,始言其故。共验之,则衾夹于寝门之隙。启扉检照,见有爪痕如箕,五指着处皆穿。既明,不敢复留,负笈而归。后问僧人,无复他异。